小高い丘の頂に、赤い野球帽は独り佇んだ。
 特に望んでここへ来た訳ではない。見慣れない教室から一歩踏み出した途端、この場所に景色が丸々摩り替えられたのである。
 突然の現象に驚きはしたものの、空間転移を自在に操る彼にとって別段不思議なことでもない。
 いましがた彼が宥めていた少女は別の場所へ飛ばされたらしく、傍らにその大きなリボンは見えない。
 それどころか、辺りを見回せど人の姿は一切認められなかった。
 やれやれと肩を竦め、赤帽の少年――ネスは深い溜息を吐き出す。


 悪夢、としか表しようもない。アイツ――口にするのもおぞましい――が帰ってきた。
 あまつさえ、大衆の眼前で、人道を外れた行為をやってのけたのである。
 ギーグとの闘い以来姿を眩ましたものだから、アイツの悪行は『死んで詫びた』という形に落ち着けてやっていた。
 あれからほんの数ヶ月。こうも早くに自分の甘さを悔いる破目になろうとは。
 思えば、悪夢のはじまりにはいつもアイツが居た。
 ついさっきまで、家族で食卓を囲み、パパや妹と一緒にママの手作りハンバーグに舌鼓を打っていたというのに。
 ギーグをめぐる騒動に巻き込まれたのも、元を辿ればアイツのダメ人間振りが原因だった。
 今回は食事の最中。あのときは安眠妨害されたっけか。


 怪しく光る首輪を撫でながら、ネスは再度大きな息を洩らす。
 異物感満載だったそれは、今や体温に馴染んでしまったようで、指先に触れる生温かさがまた別の不快感を醸し出した。
 受難、という甚だ歳相応とはいえない語が脳裏を過る。思い返せばこの一年、碌な目に遭わなかった。
 ひょんなことから騒動に巻き込まれ、その度に収拾を着けさせられてばかりいた。
 おかげですっかり他人の尻拭いが得意になってしまったものである。
 とはいえ、いつまでも不遇を嘆いても居られない。こうなった以上、やらなくてはならないことはごまんとあるのだ。
 尤も、それがあまりに多すぎて、何から手を付けて良いか悩ましいところではあるが。


 ――彼は既に、自分が最終的に為すべきことを理解していた。
 ポーキーのことは憎らしいが、彼がこの“ゲーム”の敷設を取り仕切っているとは考え難い。
 ギーグの一件でも、所詮彼は事態を煽動した賑やかしに過ぎない。
 すべてを収めた後、ブタ箱にぶち込めば(尤も政府の狗共が救いようの無いことは
 警察組織の前例があるので完全にはアテにできないが)済む話である。
 ……いや、あの肥大したケツに伝説バットのフルスイングSMASH一発くらい見舞っても罰は当たらないだろうが。
 問題は、裏で糸を引く後ろ楯。かような数の人間を瞬時に呼び寄せる芸当を持つ存在、よもやただの道化では済まない。
 個人なのか、組織立った連中か。新手のサイキックか、はたまたインベーダーの仕業なのか。
 いずれにせよ、厄介な相手には相違ない。こちらとて万全の準備を整えなければ如何ともし難いだろう。
 その為には、目先の問題を片付けていく必要が出てくる。八つのメロディもジャイアントステップからである。

 そこでまず思い至るのが、同志を募ること。
 いままでもそうであったように、一人では脱することの困難な窮地も、仲間と協力し合えば乗り越えられるやも知れない。
 共に旅した友人らの他に、奇特な力を漂わす者、歴戦の猛者といった風格の者の姿もあった。
 ――実際のところ、呼び集められたのは手を携えるに心強いばかりの者達である。

 だが、ネスの心中には一抹の不安があった。

 誰もが手を取り合い、主催者を討つべく団結してくれる。そう信じたい気持ちは確かにあった。
 しかしながら彼は、田舎育ちの少年らしい、ただ無垢なばかりの心の持ち主ではない。
 希望的観測より遥かに強く、他の参加者に危害を加えようと目論む輩が現れることを懸念して止まない。
 どんなに素晴らしい力を持とうとも……否、力あるからこそ、とするのがより正確だろうか。
 悪心に囚われる人間は、いつ如何なる場所にも姿を現すものなのだ。
 皮肉にも、彼が長きに渡る旅を通じて学んだことのひとつである。


 理由は十人十色だろう。
 たとえば、私欲の赴くまま“願い”を叶えようとする者。
 たとえば、ただ生き延びたい一心で、他者を蹴落とさんとする者。
 たとえば、大切な人を失ったショックのあまり、自失に走る者――
 どれを取っても、至極自然な思考といえよう。
 人には理性というものが備わっている。それが人のアイデンティティであり、強みでもある。
 しかし、このような理不尽に身を置けば、たちまち抑制が利かなくなることはままあるのだ。
 人の心は脆い。僅かな隙さえあれば、本能と欲望に容易に支配される。
 そのことは、この場に居る誰よりも、彼こそがよく知っていると評して過言で無い。
 彼とて“自分の場所”をめぐり、マジカントでの試練に打ち克って、初めていまの“強さ”を手に入れたのだ。
 自らの心に巣食う悪魔。その存在を、視覚、聴覚、そして全身を蝕む痛みを通じ理解し尽した人間など、彼くらいのものであろう。
 たしかな信念の下に正義を貫く強さ。それは、限界を超越したストイズム。
 それを手にしたからこそ解る。人間とは、どうしようもなく不確かな生き物なのだ。
 ――だからこそ、世の中はおもしろいのだが。

 ともあれ、協力者を集めることは絶対条件だ。
 多様な思いの錯綜するこの場所で心からの信頼関係を築くことは容易でない。
 そういう意味では、気心の知れた友人らとの合流を第一に考えるべきなのだろう。
 ……だが、その考えはすぐに憚られる。
 たしかに彼の目的は、この“ゲーム”を潰し、おそらく控えているであろう黒幕を討つことである。
 強大な力を振り翳し悪をはたらく連中は、何としても除かなければなるまい。
 現に犠牲者を出してしまっている。これを指を咥えて見逃すほど、彼は寛容な男ではない。
 されど、それはあくまで最終的な目的に過ぎない。
 ざっと地図を眺めたところ、この島にはそこそこの広さがあるようだ。
 寂しがり屋のポーラからテレパシー通信がないところを鑑みると、一部の超能力は封じられていると見て間違いない。
 加えて首輪の制約がある今、不用意にテレポートを試みる気には到底なれなかった。
 この島の中から超能力抜きに、たった三人の仲間を捜し当てるのは、あまりに効率が悪い作業。砂粒の中から胡麻を浚うようなものだ。
 そんな悠長なことをしていては、どれだけの犠牲者が出るかと考えるとぞっとしない。
 このふざけた催しに誰かの命が奪われるなど、決してあってはならないことだ。
 友人らのことは気懸かりだが、同時に、彼らの強さを彼はよく知っている。
 ムの修行を積んだプーには、誰より強い精神力と、熊をも倒す武術がある。超能力も達者で、ネスが心配するのも忍びない程だ。
 唯一PSIを持たないジェフは、凡俗には及びもつかない頭脳の持ち主。囚われたネス達を単身救った度胸と行動力も脱帽ものである。
 ポーラだって、か弱いフリして男顔負けの豪腕だ。そのうえPSIも得意なのだから、ときに相手になる輩に同情さえしてしまう。
 彼らなら、各々なんとかこの窮境を切り抜けてくれるだろう――そう信じるしかない。
 いま優先すべきは、ひとつでも多く、悲しみの種を取り除くこと。
 復讐の矛先は、この最悪の場を創り出した狂人ただ一人で良いのだ。

 ひと通り思案した後、ネスはザックの中身をチェックし始めた。
 記憶に間違いが無ければ、中には武器となるグッズが収められている。
 PSIを用いての闘いには自信があるが、それのみでは消耗に耐え切れないだろう。
 おそらく長丁場となるこの闘いを乗り切るには、肉弾戦の手段がまず不可欠である。
 まさか使い慣れたバットが都合良く入っているとは思えないが、無いよりはマシな物が飛び出すことを切に願う。
 おもむろに突っ込んだ手に掴んだグッズを勢いよく引き抜く。そして。

 ……ジャン!

 などと胸中戯けてみせた。
 精神的な余裕こそ無かったが、こんなときにもユーモアを忘れないのが彼の取り柄である。
 否、激情に流されてユーモアを忘れたとき、彼は自分自身を見失ってしまうことだろう。
 取り出したのは、一本の剣だった。柄には美麗な紋章の刻まれた宝珠が埋め込まれている。
 諸手でしっかと握り締め、軽く一振り……したつもりだったが、あまりの重量感に思うように制御できない。
 プーはよくもこんな代物を使いこなすものだ、と改めて感服させられる。
 しかしながら、手にしているだけで体の奥からなにか温かな力が湧き起こる気がする。
 たとえるなら、心に希望の火が灯るような――そんな感覚だ。
 不思議な力の恩恵を感じたところで、剣をザックへ仕舞っておく。
 扱い切れないこともあるが、一番の理由は他者にいたずらな警戒心を与えることを避ける為だ。
 仮に闘う破目になったとて、武器を取る間の一太刀にやられるほど軟なつもりはない。
 取り出すまで存在に気付かなかったように、片していれば重さも感じないのだから、この状態が最も都合が良いのである。

 あとは、先程見た地図の他にコンパスや照明器具などの生活用品や水の入ったボトル、食料のパン類が収められていた。
 最低限のサバイバルに必要な物資が揃っている。地図によれば市街地も存在し、野宿を嫌う者も住に困らない。
 飲食物への細工が疑わしいが、用意された量を見るにあたりその可能性はかなり薄いと言えた。
 二日、或いは多く見積もって三日分。即座に餓死する可能性は有り得ないが、長期滞在には不充分。
 思うに……参加者同士で奪い合え、という意図だろう。
 生かさず殺さず、孤島という監獄に閉じ込めた人間に、否応無しの殺し合いを迫る。まさに最悪を冠するに相応しいゲームである。
 脳髄から腐り切った輩の考えそうな、陰険にして残酷な罠。その事実に虫唾の走る一方で、ネスはどこか安堵する。

 ――これで、何の躊躇いも無く、黒幕を徹底的に叩き潰すことを決意できたのだから。

 目的は定まった。荷物のチェックも完了した。二の足を踏む理由はもはや何も無い。
 いま居るのはエリア1――島の北西端に位置する丘陵である。
 コンタクトには劣るが、お陰で向かう方向は容易に決めることができる。
 隣接するエリアにある住宅街は島最大の拠点。ひとまず他の参加者を発見できるはずだ。
 軽く眼を閉じ、右手でつばを掴んで帽子を深く被り直す。
 友人の安否。果ての無い道程。そしてまだ見ぬ巨悪の存在――
 どこを取っても憂慮は募る一方だが……彼の心には、それを上回る正義がある。
 身形を整えたネスはゆっくりと眼を開く。その瞳には、一点の曇り無く燃える意志の炎が宿っていた。


 【ネス@MOTHER2
 健康状態:良好
 武装:なし
 所持品:支給品一式 封印の剣
 現在位置:B2 エリア1
 第一行動方針:住宅街へ移動
 第二行動方針:無駄な争いを阻止する
 第三行動方針:首輪の解除法及び脱出法の模索
 第四行動方針:戦力を募る
 基本行動方針:ゲームの破壊
 最終行動方針:黒幕の打倒(ついでにポーキーはブタ箱送り)
 備考:出会う相手にはひとまず警戒する。特に緑帽の中年に注意 】